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ゆうやと一緒に歩む道

初めまして裕哉ママです。

私がこのブログ ゆうやと一緒に歩む道を書くのは初めてです。

このブログを書き始めたのは、私と裕哉の大切な友人です。

このブログは裕哉が在宅を初めて、明るく楽しい事をと思い友人が

書き始めました。私が書くと辛い事や暗い話になってしまうので・・・

でもコメントの返事は、私がしてます。

皆さんには、沢山の励ましのコメントや、温かい言葉を、沢山頂き、

本当にありがとうございます。本当に元気やパワーを頂きました。

心から感謝してます。

裕哉が事故に遭った日が、まだ昨日の事のように思います。

事故から4年間・・・毎日が戦いでした。

急変した時の裕哉の顔は、今でも忘れられません。

母として、我が子を助けれなかった・・・。

無理を言っても手術をしてもらえば助かってたかもと。

毎日のように自分を責めてしまいます。これは自分が亡くなっても思うでしょう。

この4年間は、友人が居てくれたから、諦めず頑張れたんです。

私ひとりだったら、きっと今の自分はいないでしょう。

4年間毎日裕哉に会いに行って、裕哉に沢山声をかけ、脳に効くと聞けば何でもしました。

裕哉の所に行くのは一度も苦痛に感じた事はありません。

それよりも早く会いたいと思う気持ちの方が強かったです。

なるべく裕哉の前では泣かないようにしてました。

でも家に帰れば気が狂ったように泣いてました。

私の母は、私とは考え方が違うので、何度もぶつかりました。

傷つく言葉も平気で、言う母でした。

この時期、脳死の子供は死という話題がテレビで、流れてたけど、

私は裕哉はしっかりと生きてると信じてたので、あまり気にしないようにしてました。

ただ心臓移植や腎臓移植があるのに、なぜ脳の移植は、ないのか。

あるのであれば、私の脳を全部あげてもいい。そんな事ばかり考えてました。

裕哉がいなくなるとか思ってもいなかった。

裕哉が元気だった頃も、裕哉の成長が、ものすごく楽しみだった。

でも9歳で脳死状態で、13歳で旅立った。

野球が好きだから野球選手にとか、どんな彼女をつくるのか、結婚して・・・

本当に今から人生を楽しむ時だったのになぜ裕哉がと・・・

3年間ぐらい正直受け入れきれなかったのかもしれません。

在宅生活を出来るようになって、やっと受け入れる事ができたんだと、今思います。

在宅生活は、10ヶ月でしたが、裕哉の顔付きは、いつも穏やかで、

私達も笑顔が出るのが増えました。

裕哉が体調を崩した時も、もっと早く病院に連れていけばと、悔やんでます。

それから45日間、裕哉は、物凄く頑張りました。

元気だった頃は、すぐになんでも諦める裕哉があんなに生きる力を見せる姿。

男らしかったです。

まだまだ裕哉と頑張って戦って来た事を、知ってもらいたく、私は本を書こうと

思ってます。

時間がかかるかもしれませんが、この裕哉の頑張り私達がどれだけ戦ってきたか

残したいと思い、少しずつ書いてます。

皆さんによんで頂けると、裕哉の4年間がわかると思います。

今、私はその本を書く事で生きていけるような感じがします。

正直私には、もう守るものも、未来も見えません。

一日一日裕哉に会える日が近づいてると、考えるようになりました。

でも本は必ず残します。



今日のブログは暗い話ばかりになって、コメントしづらいかもしれませんが。

読んで頂けるだけでも有難いです。

いつもブログを読んで頂いて本当にありがとうございます。 


裕哉ママより。



初めまして裕哉ママです。_a0252222_2491054.jpg

              
by yhkmessage | 2013-06-29 03:11
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